はるのひととき
七氏のつぶやき&忘備録です。
カテゴリー「散る文」の記事一覧
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あばんぎゃるど
- 2025.03.30
花散らしを待っている
- 2025.01.29
2gの朝
あばんぎゃるど
- 2025/12/22 (Mon)
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昔知っていた人のことを少し書く
彼は数十年前に病気でこの世を去ってしまった。
だけど、そんな人のことが最近とても懐かしい。
もう一度会いたい、と想うのだ 。
最初の出会いは高校生の時 12歳年上の人だった。
美術の非常勤講師だった。
年代的に、フォーク系のこともよく知っていたので 仲間と一緒に音楽の話も沢山した。
美術室にYAMAHAのギターを持ち込んでも怒らず、 生徒指導の先生にはナイショで講師室に置かせてくれた 。
とても尖っている人だった。
ヘタな言葉で接すれば即ぶった切られるような、もの凄い緊張感も持っていた。
彼も自分の絵を描いていた。
放課後、美術室の床も壁も絵の具でビシャビシャにして、部員のみんなと好き勝手好き放題な絵を描いた。 彼の絵は"前衛日本画"と呼ばれていた。 美術室の壁いっぱいの大きな絵に何枚も挑んでいた。そこに使うニカワを溶かしながらその電熱器でコーヒーを沸かしたり、岩絵の具を擂る乳鉢の美しさが好きだったり、モチーフに使う巨大な観葉植物でジャングルになったりと、 彼の風景は異様であるくせに心地良かった。
部員のみんなはとても仲が良く(全員女子)、 彼を囲んで不思議な青春を送っていた。 私のことを70年代好きな変わった女子高生として色々構ってくれた。 自分のバンドのことを話してくれて、 ギターをチョットだけ弾いて照れてたりした (彼はRCが好きだった) 。
「キミがいつかJaguarのオーナーになるなら 俺は必ずMercedesに乗ってみせるから・・・」 と、息巻いていた彼は その時、HONDAの中古の軽に乗っていた。 部員のみんなで寄ってたかってその軽自動車にペンキを叩きつけ、ピンクと緑のイカしたArtCARにした。 彼はしばらくその車で通勤していたので 厳しい生徒指導の体育教諭からは睨まれていた。 講師なのに生徒扱いされてたのが可笑しい。 その車に一緒に乗って展覧会の絵を運んだり、鎌倉の海に遊びに行ったりした。 あの頃のことはいくら書いても書き足りないほど沢山の想い出がある。 そして時が経って、 彼は非常勤講師を辞めアーティストデビューし、日本画にリトグラフ、立体に音声作品、銀座のギャラリーで個展などを開き美術雑誌で特集もされて、一躍前衛のメジャーになっていった。
私たちは卒業してそれぞれの道へ別れていった ・・・
そのまま会うこともなく数年が経って ある時、ひょんなことから 彼のアトリエが私の友人の店の近くにあることを知り、友人と 一緒に訪ねてみた。 その頃はもう私は別の年上の人と結婚し、 彼も12歳年下の奥さんをもらって子供もいた 。
7年ぶりくらいに再会したその時には、 ARTの活動以外にも車雑誌の連載やテレビ出演や、 海外にまで進出したりして、とても面白い芸術家になっていて眩しかった。 だけど、懐かしいまま昔と同じ様に接してくれる彼はやはりどこか柔らかく尖っていて、 相変わらず刺激的なことを示唆してくれるのだった。 そのうち、新しい企画展で使う音声の材料が要るから手伝ってくれと言われアトリエに呼ばれた。
笑い声をたくさん録音して、
ポラロイド写真を撮って遊んで、
オーディオの部品をつなぎ合わせて面白いアクセサリーを作ってくれた。
そのころ言われた言葉は、
「君は子供に何か教えるようなお教室をやったらどう?」
と・・・
私には子供がいなくて、友人たちとは違って美大にも行かなかった。
絵は素人、、、なのにナゼ彼はそんなことを言ったのだろう・・・
あれから40年近く経つ・・・
前衛はいつしか現代アートと呼ばれている。
"なんちゃらトリエンナーレ"とか ワークショップとか、少し緩い感じ?
あの彼の尖った照れくささは今思うに、彼の素顔そのままだったかと思う。
artというものはやはり特別なことではなくて、
その人間の手触りそのものだったのだと今になってわかる。
彼の絵を一枚でもいい、欲しいと思うのだけれど・・・
あの日のリトグラフは今どこにあるのだろう。
いくら探しても手に入らないのが不思議で悔しい。
彼は数十年前に病気でこの世を去ってしまった。
だけど、そんな人のことが最近とても懐かしい。
もう一度会いたい、と想うのだ 。
最初の出会いは高校生の時 12歳年上の人だった。
美術の非常勤講師だった。
年代的に、フォーク系のこともよく知っていたので 仲間と一緒に音楽の話も沢山した。
美術室にYAMAHAのギターを持ち込んでも怒らず、 生徒指導の先生にはナイショで講師室に置かせてくれた 。
とても尖っている人だった。
ヘタな言葉で接すれば即ぶった切られるような、もの凄い緊張感も持っていた。
彼も自分の絵を描いていた。
放課後、美術室の床も壁も絵の具でビシャビシャにして、部員のみんなと好き勝手好き放題な絵を描いた。 彼の絵は"前衛日本画"と呼ばれていた。 美術室の壁いっぱいの大きな絵に何枚も挑んでいた。そこに使うニカワを溶かしながらその電熱器でコーヒーを沸かしたり、岩絵の具を擂る乳鉢の美しさが好きだったり、モチーフに使う巨大な観葉植物でジャングルになったりと、 彼の風景は異様であるくせに心地良かった。
部員のみんなはとても仲が良く(全員女子)、 彼を囲んで不思議な青春を送っていた。 私のことを70年代好きな変わった女子高生として色々構ってくれた。 自分のバンドのことを話してくれて、 ギターをチョットだけ弾いて照れてたりした (彼はRCが好きだった) 。
「キミがいつかJaguarのオーナーになるなら 俺は必ずMercedesに乗ってみせるから・・・」 と、息巻いていた彼は その時、HONDAの中古の軽に乗っていた。 部員のみんなで寄ってたかってその軽自動車にペンキを叩きつけ、ピンクと緑のイカしたArtCARにした。 彼はしばらくその車で通勤していたので 厳しい生徒指導の体育教諭からは睨まれていた。 講師なのに生徒扱いされてたのが可笑しい。 その車に一緒に乗って展覧会の絵を運んだり、鎌倉の海に遊びに行ったりした。 あの頃のことはいくら書いても書き足りないほど沢山の想い出がある。 そして時が経って、 彼は非常勤講師を辞めアーティストデビューし、日本画にリトグラフ、立体に音声作品、銀座のギャラリーで個展などを開き美術雑誌で特集もされて、一躍前衛のメジャーになっていった。
私たちは卒業してそれぞれの道へ別れていった ・・・
そのまま会うこともなく数年が経って ある時、ひょんなことから 彼のアトリエが私の友人の店の近くにあることを知り、友人と 一緒に訪ねてみた。 その頃はもう私は別の年上の人と結婚し、 彼も12歳年下の奥さんをもらって子供もいた 。
7年ぶりくらいに再会したその時には、 ARTの活動以外にも車雑誌の連載やテレビ出演や、 海外にまで進出したりして、とても面白い芸術家になっていて眩しかった。 だけど、懐かしいまま昔と同じ様に接してくれる彼はやはりどこか柔らかく尖っていて、 相変わらず刺激的なことを示唆してくれるのだった。 そのうち、新しい企画展で使う音声の材料が要るから手伝ってくれと言われアトリエに呼ばれた。
笑い声をたくさん録音して、
ポラロイド写真を撮って遊んで、
オーディオの部品をつなぎ合わせて面白いアクセサリーを作ってくれた。
そのころ言われた言葉は、
「君は子供に何か教えるようなお教室をやったらどう?」
と・・・
私には子供がいなくて、友人たちとは違って美大にも行かなかった。
絵は素人、、、なのにナゼ彼はそんなことを言ったのだろう・・・
あれから40年近く経つ・・・
前衛はいつしか現代アートと呼ばれている。
"なんちゃらトリエンナーレ"とか ワークショップとか、少し緩い感じ?
あの彼の尖った照れくささは今思うに、彼の素顔そのままだったかと思う。
artというものはやはり特別なことではなくて、
その人間の手触りそのものだったのだと今になってわかる。
彼の絵を一枚でもいい、欲しいと思うのだけれど・・・
あの日のリトグラフは今どこにあるのだろう。
いくら探しても手に入らないのが不思議で悔しい。
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花散らしを待っている
- 2025/03/30 (Sun)
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桜が咲き始める頃の春の曇天が好きだ
グレーの空に薄紅色の枝が風に揺れ始めると
君と再会したあの年を想い出すから・・・
・・・
あの日・・・
・・・
あの日・・・
街のブックストアで僕は地図を探していた
君はカバーのかかった文庫本二冊
人気のない棚を回りこんで
気付いたのは君の方が先だった
気付いたのは君の方が先だった
声より先に肩に手を乗せるなんて
君の積極的なアプローチ相変わらずだったね
互いに一人だったのは何かの理由?
互いに一人だったのは何かの理由?
久しぶりの笑顔に懐っこさを見つけて
時が戻る・・・
時が戻る・・・
すぐに会計を済ませると無言で二人、
駐車場へ歩いた
駐車場へ歩いた
互いに、悲しい別れをしたわけじゃない
だからこんな時は
少しだけまた遭ってもいいと・・・
少しだけまた遭ってもいいと・・・
春先の柔らかい陽に誘われて
桜を見に行こうと言い出したのは僕だった
車でCD一枚聴く間に
街外れの古い公園に着いた
桜を見に行こうと言い出したのは僕だった
車でCD一枚聴く間に
街外れの古い公園に着いた
蓮池と椿園と、池の周りの桜
移築された古民家
移築された古民家
季節ごとに色の変わる日本庭園
まだ四分咲きほどのおとなしい桜を眺めながら
少し歩いた・・・
池の端のベンチに座ってみる
少し歩いた・・・
池の端のベンチに座ってみる
カイツブリの潜る方を当てっこしたりしているうちに急に風が出てきた
柳の新芽も揺れはじめた
雲行きがあやしい
そんな天気が春らしい
「 折角なのに・・・雨になりそうだね」
風の中の雨の匂いは濃くなる
「 折角なのに・・・雨になりそうだね」
風の中の雨の匂いは濃くなる
古民家のカフェでお茶も飲まずに
引き返すことにした
引き返すことにした
車に戻る途中、夕立の様な激しい雨になった
周りの人達も慌ただしく駆け出してゆく
「広重の絵のようだわ」
って、君はノンキだ
「広重の絵のようだわ」
って、君はノンキだ
僕は上着を脱いで君の頭にかけた
僕たち二人は走ることもせず
そのまま雨に濡れて歩いたね
駐車場の車に駆け込むと君の髪
そのまま雨に濡れて歩いたね
駐車場の車に駆け込むと君の髪
濡れてウェーブがキツく巻いてたのが綺麗だった
ヒーターで曇った窓の中で
上着が乾くまでの間歌った歌を覚えている?
雨は別れの歌じゃない 今日は春の雨
「夢占いでは雨は"恋"のキーワードだよ」
雨は別れの歌じゃない 今日は春の雨
「夢占いでは雨は"恋"のキーワードだよ」
なんて真顔で言った僕のこと笑っていた君
雨音に閉じ込められて
倒し気味のシートに深く沈んだまま
君と僕で一曲を半分ずつ歌った
でも、今思うとやはりあれは別離の歌だったんだね
・・・
最近の桜は温暖化のせいか
色が薄くてどこか寂しい
・・・
最近の桜は温暖化のせいか
色が薄くてどこか寂しい
それとも、僕の方が歳をとったのか・・・
目に映るものの色が少しだけ褪せて見えるのは、もう遭うことのない君を忘れられないから・・・
満開の桜を散らす雨のことを
満開の桜を散らす雨のことを
懐かしい友人のように想う僕は
どこか少しひねくれたままで・・・
もう何度目の春なのだろう
もう何度目の春なのだろう
降り出しそうで降らないこの曇り空に
ひとり、雨の匂いを待っている
モウイチド アイタイ キミヘ ...
モウイチド アイタイ キミヘ ...
2gの朝
- 2025/01/29 (Wed)
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「そろそろ捨てなくちゃ」
と思って
と思って
キッチンの戸棚を片付け始めた
お気に入りのカップでも スープボウルでも
揃いならそれはひび割れと一緒・・・
それはひとつでもなくふたつでもなく
ただの空っぽの器に過ぎない
使えないやつだ
ダンボールにポイだ
棚の一番奥に古いラベルの空き缶があった
棚の一番奥に古いラベルの空き缶があった
振るとカラカラ音がする
中から出てきたのは
銀のティースプーン
「こんなところにあったのか」
そう思いながらも
「これは僕のものじゃない」
そう思って悲しい
この部屋で初めて二人で過ごした日に
「こんなところにあったのか」
そう思いながらも
「これは僕のものじゃない」
そう思って悲しい
この部屋で初めて二人で過ごした日に
君が手土産に持ってきた紅茶の缶だ
あれから何度の朝を迎えて
いくつの夜をめくってきたのか・・・
朝が遅い僕に君が淹れてくれる紅茶は
朝が遅い僕に君が淹れてくれる紅茶は
さわやかで、溌溂として、柔らかだった
好きな色、好きな香り、好きな渋み
本当に好きだった・・・
けれど、いつしか僕はそれに慣れてしまって
けれど、いつしか僕はそれに慣れてしまって
「うん」とか「そう」とか
君に横顔ばかり向けて
カップの底まで飲み切らずに放置してた
僕は幸せの目分量を間違えていたんだ
・・・
今、僕は紅茶を淹れることができない
・・・
今、僕は紅茶を淹れることができない
茶葉をスプーンで量ってみても
蒸らす時間を砂時計で計ってみても
どんなに値の張るリーフを買ってきても
いつも君が出してくれた香りにならず
金属的な味しかしない・・・
だから僕はティーバッグひとつ2gの朝
だから僕はティーバッグひとつ2gの朝
マグカップに放り込んで
熱い湯を注いでも
そしてまた忘れてしまう
気付けば
気付けば
底の方で紅く溜まってる紅茶の色は
僕の後悔だ
冷めてしまった思い出の底で
動けないままの痛みの色だ
もう少し、ティーバッグはこのままで
もう少し、ティーバッグはこのままで
引き上げるのをためらう休日の朝・・・
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