はるのひととき
七氏のつぶやき&忘備録です。
発掘のはしくれ
- 2024/11/14 (Thu)
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先日までチャレンジしていた遺跡発掘のことはいずれ長々と書いてみようと思っていますが、まずは思い出に証拠写真だけ載せてみるココロミ。
(*´∀`)

※大きなショベルカーの側で作業するのでヘルメットは必須です
最初の最初に配属された現場。
新しい幹線道路が出来るので、果樹園を掘り起こして発掘調査。何度も洪水に見舞われてるので地層が入り乱れている。川の大きな石と砂が多い現場でした。
少しずつ掘り(削り)進めていくと石が出てきて、その下に奈良時代の平たいお皿が出てきました。ミリ単位レベルで土を綺麗にとりのぞいた結果です。割れて剥がれた破片は石の上に置いてあります。
※埋蔵文化財の発掘調査をする資格を持った調査員の先生や正社員さんがいるので、その指示を仰ぎながら作業します。遺物の年代判別も調査員の判断です。
ここでは捨てた土(掘り出した土)の土山から大きな黒曜石の塊を発見して褒められたり、前の日まで膝まづいて這いつくばって削っていた場所3cm下から人骨3体分出てきて鑑識が来たり^^;、初めての現場でもナカナカにドキドキする体験をしました。
そもそも、日本全国各地にすでに調査済みの『埋蔵文化財包蔵地』というデータが有って、工事などの際はそこに当てはまる場所を発掘調査することになっているのです。(ネットで調べられるのでご興味ある方どぞー。『世田谷 包蔵地』みたいにググると出てきます)
この現場は3ヶ月で終わり、次は古墳〜江戸時代全部という門前町の現場へ。
年が明けて一番寒い1月下旬からは、とある大きなお寺の門前にあたる場所の発掘でしたが、土地は広いけど出るものは少ないよと言われてしょんぼりだったのです。しかも土が悪い!!県内でも最悪と言われる粘土の土地は、濡れるとぐっちゃぐちゃのドロドロへばりつき、乾くとガッチガチの歯が立たないプラスティックのような土で、それで雪が降り氷が張り、それを手作業で掘ったり水抜きしたり本当に大変でした。
しかも私の担当した場所は古墳時代の水溜のフチで、こぶし大の石がギッチリと人為的に詰めてある傾斜でして、毎日ピッケルで泥水の中で石を外す作業でした。ゆえに、膝を壊してばね指になったのですが(*_*)。

※左、壁にはまだ石が残っています。このゴロゴロ石が奥と左にびっしり敷き詰めてあったのをとりのぞいた跡です。水も溜まっているし土管の奥には排水ポンプのホース。散乱した水くみバケツと水撒き用のジョーロ、この矛盾の光景がすべてを物語っています^^;。
でも、そんな作業の中でも宝物(個人の妄想)が出てきました。
石の間に須恵器の破片が(おそらく)人為的に挟んであるのです。たまたま池にポチャっと落ちたわけでなく、石と石の間を固定or埋めるためか何かの用途のために、これまた人為的に割って仕込んであると思われる破片です。これは全述の奈良のお皿(土師器)と違って、もっと高温で焼いた固い水漏れしない美しい土器の須恵器で、色も灰青色で艶があり非常に美しい破片でした。しかもきれいな模様がついている!(調査員の先生からは大した事ないと言われましたが(笑))
こんな割れた土器の破片見て何が面白いの!?と呆れられるかもしれませんが、この石は誰かがここに意思を持って積んだわけで、しかも崩れないように固い土器の破片で調節して、1500年も動かない石積を作ったんだなぁ、と思いを感じるわけです(とは未確定の個人の感想ですが(笑))。しかも、この須恵器には誰かが模様をつけたわけで、何人かの古墳時代の人の意志を感じることが出来るんです。博物館のガラス越しではなく、自分のピッケルの先にカチっと当たったときの出会いは、本当に1500年ぶりにコンニチハという生々しいものを感じました。
そういう感情にハマって続けたい気持ちが物凄く濃くなっていたのですが、右手が2本も重症のばね指になって両膝が曲がらなくなってしまったので3期目をまたずに他の仕事に変えることになってしまいました。
情けなくてとても残念でしたが、得るものが一生分あるような濃い時間で幸せでした。関わった人がみな優しくてほんとうの意味での意識の高い方ばかりだったことが感謝でした。

※一応水で濯いで、出たところに置いて目印の竹串を差しておく。高さも位置もGPSで測って記録しておくのです。
これらはただの破片なので、復元されることはないでしょう。今はどこかの施設の棚で眠っているでしょう(*´∀`)おはようおやすみ古墳時代♪
◎ここに書いたことはまだ調査途中で確定情報ではなく、一個人の素人見解なのでおもしろバイト体験記としてお読みいただければと思います。(〃ω〃)
(*´∀`)
※大きなショベルカーの側で作業するのでヘルメットは必須です
最初の最初に配属された現場。
新しい幹線道路が出来るので、果樹園を掘り起こして発掘調査。何度も洪水に見舞われてるので地層が入り乱れている。川の大きな石と砂が多い現場でした。
少しずつ掘り(削り)進めていくと石が出てきて、その下に奈良時代の平たいお皿が出てきました。ミリ単位レベルで土を綺麗にとりのぞいた結果です。割れて剥がれた破片は石の上に置いてあります。
※埋蔵文化財の発掘調査をする資格を持った調査員の先生や正社員さんがいるので、その指示を仰ぎながら作業します。遺物の年代判別も調査員の判断です。
ここでは捨てた土(掘り出した土)の土山から大きな黒曜石の塊を発見して褒められたり、前の日まで膝まづいて這いつくばって削っていた場所3cm下から人骨3体分出てきて鑑識が来たり^^;、初めての現場でもナカナカにドキドキする体験をしました。
そもそも、日本全国各地にすでに調査済みの『埋蔵文化財包蔵地』というデータが有って、工事などの際はそこに当てはまる場所を発掘調査することになっているのです。(ネットで調べられるのでご興味ある方どぞー。『世田谷 包蔵地』みたいにググると出てきます)
この現場は3ヶ月で終わり、次は古墳〜江戸時代全部という門前町の現場へ。
年が明けて一番寒い1月下旬からは、とある大きなお寺の門前にあたる場所の発掘でしたが、土地は広いけど出るものは少ないよと言われてしょんぼりだったのです。しかも土が悪い!!県内でも最悪と言われる粘土の土地は、濡れるとぐっちゃぐちゃのドロドロへばりつき、乾くとガッチガチの歯が立たないプラスティックのような土で、それで雪が降り氷が張り、それを手作業で掘ったり水抜きしたり本当に大変でした。
しかも私の担当した場所は古墳時代の水溜のフチで、こぶし大の石がギッチリと人為的に詰めてある傾斜でして、毎日ピッケルで泥水の中で石を外す作業でした。ゆえに、膝を壊してばね指になったのですが(*_*)。
※左、壁にはまだ石が残っています。このゴロゴロ石が奥と左にびっしり敷き詰めてあったのをとりのぞいた跡です。水も溜まっているし土管の奥には排水ポンプのホース。散乱した水くみバケツと水撒き用のジョーロ、この矛盾の光景がすべてを物語っています^^;。
でも、そんな作業の中でも宝物(個人の妄想)が出てきました。
石の間に須恵器の破片が(おそらく)人為的に挟んであるのです。たまたま池にポチャっと落ちたわけでなく、石と石の間を固定or埋めるためか何かの用途のために、これまた人為的に割って仕込んであると思われる破片です。これは全述の奈良のお皿(土師器)と違って、もっと高温で焼いた固い水漏れしない美しい土器の須恵器で、色も灰青色で艶があり非常に美しい破片でした。しかもきれいな模様がついている!(調査員の先生からは大した事ないと言われましたが(笑))
こんな割れた土器の破片見て何が面白いの!?と呆れられるかもしれませんが、この石は誰かがここに意思を持って積んだわけで、しかも崩れないように固い土器の破片で調節して、1500年も動かない石積を作ったんだなぁ、と思いを感じるわけです(とは未確定の個人の感想ですが(笑))。しかも、この須恵器には誰かが模様をつけたわけで、何人かの古墳時代の人の意志を感じることが出来るんです。博物館のガラス越しではなく、自分のピッケルの先にカチっと当たったときの出会いは、本当に1500年ぶりにコンニチハという生々しいものを感じました。
そういう感情にハマって続けたい気持ちが物凄く濃くなっていたのですが、右手が2本も重症のばね指になって両膝が曲がらなくなってしまったので3期目をまたずに他の仕事に変えることになってしまいました。
情けなくてとても残念でしたが、得るものが一生分あるような濃い時間で幸せでした。関わった人がみな優しくてほんとうの意味での意識の高い方ばかりだったことが感謝でした。
※一応水で濯いで、出たところに置いて目印の竹串を差しておく。高さも位置もGPSで測って記録しておくのです。
これらはただの破片なので、復元されることはないでしょう。今はどこかの施設の棚で眠っているでしょう(*´∀`)おはようおやすみ古墳時代♪
◎ここに書いたことはまだ調査途中で確定情報ではなく、一個人の素人見解なのでおもしろバイト体験記としてお読みいただければと思います。(〃ω〃)
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